東日本大震災に関して、印象に残った言葉

日本で起こった大震災に心を痛め、言葉を失っています。
モザンビークではたくさんの情報を得ることができず、
日本がどんな様子なのか想像もできません。
だから、何かを発言することも怖く、
代わりに印象に残った3人の人の言葉を紹介します。
もしかしたら、誰かの心に響くことを願って。
とにかくは、これ以上の被害が広がりませんように、、、、


糸井重里


そういう、なんにつけても素人のぼくが、
よく「光の射す方向を見よう」と言い続けているのは、
他に方法があると思えないからです。
「希望はない」「あれもこれもまちがっている」
ということは、いくらでも言えると思います。
正直に言って、塀によりかかったらそのまま倒れた、
なんて感じのことだって、けっこうありますからね。
ヒントは希望のなかにある、と、
つくづく知らされたのが、
昨年のチリの落盤事故のときでした。
地下634メートルの坑内に閉じこめられた人びとは、
生存が確認されるまで18日間かかりました。
33人という「仲間たち」の数は、
心強いとも言えるし、それだけ考えや行動が
バラバラになる可能性を秘めていたとも言えるでしょう。
ここで生きる、助かる可能性は、
鉱山会社への憎しみを語りあうことでもなく、
どう考えても答えはない、と正論を吐くことでもなく、
「救助されるつもり」で、しぶとく生きることでした。
闇を数えるのでなく、微かに光のある方向を向く。
これなら、誰でもできるように思えるんです。


ラジオパーソナリティー・小島慶子


あなたは一人でこの変わってしまった世界に来たわけじゃない。
みんな一緒にこの困難を生きているのです。

これを読んでいるあなたは今、生きています。
生きることは変わってしまうこと。
今あなたがかつての平穏を失った悲しみの中にあるなら、
それもまた、少しずつ変わっていくでしょう。
あなたの手のひらにはまだ、たくさんの大事なものが残っています。
どんな小さなかけらでも、目を凝らして見つけ、讃えましょう。
出来ることを数え上げましょう。
笑えること、励ませること、立ち向かえること、
繋がれること、声を上げられること、手を差し伸べられること。
知恵を絞り、良心を健全な行動につなげる勇気を、
私たちはほんの少しずつ、でも確かに持っているのです。
地道な日常をつないでままならない世界を生きていくしかないけれど、
できることは必ずあります。


ジャーナリスト・石井光太

●ある被災者は言っていた。
「最初はツイッターを見たらみんなが心配してくれていたのでうれしかったけど、
最近のツイートはどんどん震災以外のことに話題がうつっている。
なんだか自分たちが忘れられるような気がして見たくなくなった」


●阪神大震災の時、ホームレスは「くさい」と言われるのを恐れ、
避難所にはいかず、路上にい続けた。
すると、ボランティアが無理やり避難所へ連れて行った。
後日脱走したが、またすぐに収容され た。彼曰く<屈辱だった>。


百人いれば百通りの思いがある。大切にしたい。


●世間では「心のケア」とか簡単にいわれるけど、
全員が全員そんなもので楽になれるわけじゃない。
どんなケアを受けたって、潮や油のにおいをかいだ瞬間に
それを思い出すときがくるだろう。
日常の気持ちを楽にすることはできても、
記憶の奥深くに焼きついたにおいというのは、
なかなか消えないものなのだ。


僕は、この鼻腔の粘膜に焦げ付いたように離れない津波のにおいを、
一、二年後にかならず本にしてまとめる。
においをつたえることが、被災地にきたことのない人に
津波を知らせることになると思うからだ。
そのとき、読者は、「気分が悪くなる本を読んだ」と言うかもしれない。
が、気分のいい津波なんて存在するわけがない。
本当の津波というのは吐き気がするほど嫌なにおいに満ちたものなのだ。
僕はそのにおいを記憶にとどめるために、瓦礫の山の中を歩き続けているのである。